ボールは、今相手にある。私の静かな手放しと整え方
- kurusuenergy
- 3月24日
- 読了時間: 3分
更新日:3月27日

気づけば、いつの間にか歩幅がずれていた。
同じテンポで過ごしていたはずなのに、気がつくと少し距離があって——
でも、それは誰のせいでもなく。
人はみな
それぞれの場所で
それぞれの時間を生きている。
小さなズレに気付く
先日、ずっとデスクトレイの中に置きっぱなしにしていた一枚の原稿を見つけました。
それは数ヶ月前、とあるイベントのために頼まれて翻訳したもので、来栖の趣味活を通じて知り合ったご縁の中で生まれたものでした。
以前、私はそのイベントのオンライン開催に参加していて、その流れから、韓国語の映像を日本語に訳してほしいとお願いされたのです。
「誰かの大切な時間のためになるなら」と思って、心を込めて仕上げた原稿でした。
けれどその直後、私は体調を崩してしまい、しばらく自分の体調管理に専念することに。
その間にイベントはオンラインからオフラインへと形を変え、私は予定していたオフライン会にも参加できずに終わってしまいました。
そしてその後、新たにオフラインで集まったメンバーだけでSNSグループが立ち上がったことを知りました。
私は初回に参加できなかったため、そのグループに招かれることもなく——自分の中で、何となく「その輪からは離れたのかな」と思うようになっていました。
向こうにとっては、ただ流れが変わっただけだったのかもしれません。
けれど私にとっては、知らないうちに空気が変わっていて、どこかで歩幅がずれてしまったような、そんな感覚が残っていました。
そして少し気になっていたのは、あの翻訳が実際に使われたのかどうか、結局わからないままになっていることでした。
そこに参加したであろう知り合いに聞いても、はっきりしたことはわからないままです。
当事者に尋ねればきっと答えは得られるだろうけれど、それはなんだか恩着せがましく感じさせてしまいそうで——
だから、もうそのままにしておくことにしました。
ボタンの掛け違い
あのときの私は、誰のためというより、ただ、あの空間に集まる人たちが少しでも楽しめればいい。そんな気持ちで引き受けたんだと思います。
だからその原稿を見つけた瞬間、私はこう思ったのです。
「これはもう、持っていちゃだめだ」
理由はうまく言えないけれど、直感的に「今の私には不要なものだ」と感じました。
必要なら、またその集まりに呼ばれるだろうし、データだって残してある。
でも今は、たぶん“ボタンを掛け違えている”だけなのだろうと、思うのです。
それは誰のせいでもなく、ただ、そういう流れの中にあるだけ。
私はその原稿を、シュレッダーにかけました。
まるでひとつの小さな儀式のように、シャリシャリと音を立てて終わりを迎える感覚。
相手が悪いわけじゃない。
私も何かを間違えたわけじゃない。
でも、こちらから必要以上に追いかけたり、合わせたりはしなくていいだろうと、思ったのです。

ボールは、今相手にある。
もしかしたら、「ただ都合のいいように利用されただけなんじゃない?」と感じる方もいるかもしれません。
でも、私はそうは思いませんでした。
その時繋がったご縁に、できる範囲で心を込めて応えただけ。
後悔のない関わりだったから、それはそれでひとつの完結なのだと思います。
でも正直、SNSグループがなくなっていたと知ったときの私は、戸惑って心がうろたえました。
でも物理的な距離を埋めるすべは、なかった。文化や感情の違い、そして言葉の壁も、ひとりではどうにもならなくて——。
だから今は、ただ静かに、現状を受け入れているところです。
それがきっと、今の私にできるやさしい手放しと整え方。
そしてこれからは、たとえまた誰かとご縁が生じても、お互いの距離感を間違えずに、心をすり減らさずに、軽やかにお付き合いできればと思っています。



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